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2011年4月 2日 (土)

原子力発電こそ本質安全設備でなくてはならない。

大震災で津波の高さよりはるかに震撼させているのが原発である。制御不能となった原子炉がいまだに熱と放射能を出し続けている。普通すべての機械や装置は電力や熱(燃焼等の化学反応)をそのエネルギー源としている。従ってその供給を制御する事で思い通りに動作させる事が出来るし供給を止めれば動作しなくなる。熱エネルギーも停止するのが普通である。

また、機械や装置を作動させるときは全て安全が基本であり、それは万が一の時に人を傷つけたり環境破壊しないように動作するもしくは停止しなければならない。つまりいかなる状態においても本質的に安全でなければならない。これが物造りの本質安全思想である。少なくとも物づくりに携わった人間はこの事をよく知っているはずでありそれを基準に造っているはずである。

人は失敗をしたり思惑通りに行かなかったり不十分な事が起きるとそれを弁解するために”想定外”と言う言葉をよく使う。良い事の想定外は許されるが悪い事の想定外は決して許されない事を物造り屋は知らなければならない。

福島原子力発電所で今起きている事はまさにこの想定外を連発せざるを得ないほど弁解できないミスが重なっていると言える。まず原子力発電所の立地条件である。原子力発電所は大量の冷却水を使うし排出するので海に近いほうが好都合である。

しかし三陸沖には地殻プレートが幾重にも交差しており地震が多く津波の危険が予測されていた。M8程度は想定内と言うがその際の津波の高さは明らかに過小評価と言わざるを得ない。現実に付近の状況から今回の福島原発を襲った津波の高さは15mを優に超していたと言われている。津波対策が8m程度では到底防ぎきれない。津波に関する安全係数も低すぎる。

原子炉が冠水した時の対策はまるでなっていないように思われる。原子炉の専門家でなくても物造りに携わった人間なら誰でも気がつく。ましてや原子炉は一旦、制御不能になると核燃料自身が臨界をむかえ核分裂を始めて膨大なエネルギーと放射能をまき散らし始める。放射能は物によって半減期が何万年もかかるものがある。生物が住めなくなる。まさに核の恐ろしさである。

原発は必要かもしれない。しかしそれは本質安全が前提で二重、三重に安全が確保され想定外が一切ない事を条件にして原発は造らなければならない。それが可能かどうかは国民が議論しなければならないと思う。

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